先日、伝手があって、新鮮なクジラの肉が自宅に届き、
しゃぶしゃぶで食べる事がありました。
伝手といっても、怪しいルートではなく、
母親が料理屋をやっているのでその知人から分けてもらったものです。
店主も雑貨屋とはいえ、
数年前まで日本料理出身のいっぱしの料理人なので、
くじらやイルカの肉は料理したことがあります。
でも、竜田揚げ用に黒っぽくなった肉はよく見るけど、
新鮮で牛肉の様な肉を見るのはすごい久しぶり。
正直、わくわくしました。
ちょっと前まで、映画の関係で愛護団体が揉めていたのを憶えています。
店主は、どちらという意見を持ってはいなかったけど、
実際に食べてみて、喜んで美味しいと食べたかというとそうでもなく、
くじらを食べるのは日本の文化と諸外国に話すのはどうかと思いました。
実際のところ、妻も子も、
牛肉や豚肉、そして鶏肉の方が断然うまいと感じたからからです。
食べたくじらの肉質はすごく良いものだと思います。
調理もへまをしない自信はあります。
それでも・・・。
すごく昔、日本人が牛肉などを食べなかったころ、
動物性のタンパク源として食べていた頃、
それを食文化というならわかる気がする。
でも、現代において、
牛も豚も鶏も、クジラより安く手に入る時代に、
クジラを食べる慣習をどう捉えたらよいかわからず、
疑問が残りました。
猟(漁)と食は直結するから、
地域の慣習としてみるのはとても価値のあるものと思うし、
後世に残ってもいいと思う。
くじらの骨や髭を使った道具や民芸品とかの文化もね。
ただ、今の時代じゃ美味しいとありがたがって食べる人はいないと思う。
料理の作り手として、
美味しくないと思って食べる事や調理する事、残す事がどれだけ心が痛むことか。
くじらの料理は多くの人にそうなる運命だと思う。
(食べてみて、「へ~、なるほどね」で終わると思う)
だから、訳も分からず地域外の人が興味本位で珍しがって食べたり、
知らない人がクジラ猟自体を擁護してはいけないかなと思いました。
ましてや、誤解されてまで外国に日本の文化と主張することも。
一度も冷凍されていない、
生の鯨肉のブロックに包丁を入れるのは、独特の感覚です。
厚い皮膚は脂肪は牛肉にはない感覚。
そしてさらっとしてあまりべたつかない脂。
肉をさばきなれてはいますが、変な気持でした。
生まれた時から食べられる運命の家畜と違い、
クジラが知的な哺乳類で、野生の自由な生き物である事。
つまり、家族があり、必死で生きていて、
人間としている事はさほど変わらないという事。
何年も普通に生活していて、ある日突然家族を引き離されたら、
人間に例えたらひどく残酷な事だと感じてしまう事。
そこが家畜と野生の最大の違いで、
同じ肉を食べる行為にしても、
バックグラウンドが違うのではと思いました。
なので、クジラやイルカが神聖だという諸外国の気持ちも分からなくもないという事。
仏教のような話だけど、原点に帰って、
その日必要な食べ物を、自然からありがたく命をちょうだいして、
「いただきます」と、
心から喜んで食事をする事ができる物、
それを食べていこうと思いました。
くじらは食べなくても良いんじゃないかなと。
くじらの文化に携わっていないので、
日本人として、個人的な考えです。
分かっていることだけど、
白か黒かは簡単な話じゃないと思います。
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